御祭神
天速玉姫命(アメノハヤタマヒメノミコト)
御由緒
泉神社は人皇第十代崇神天皇の御代、宇治四九年(紀元前四二年)にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。
延喜式内社の由緒深い旧郷社である。
久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、大臣伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。
社記に「上古霊玉此地に天降り霊水湧騰して泉をなす号けて泉川云ひ霊玉を以て神体とする」とある。 ご祭神はこの霊玉を神格化した天速玉姫命をお祀りしている。
「東夷の荒賊を平討する」最前線基地としての地域性を反映し、古くから多くの武将が祈祷に参拝している。
特に、後奈良天皇の御代、享禄三年(一五三〇年)九月に書かれた棟礼には、佐竹義篤が泉神社を崇敬し社殿を修造したと記録されている。残念なことに、享和二年(一八〇二年)社殿が焼失し、旧記録を始め宝物などが散逸してしまった。
現在の社殿は氏子らの浄財により昭和五八年(一九八三年)五月に再建されたものである。
史跡 泉が森
神社脇に清水がこんこんと湧き出る泉ある。
この泉の周辺と神域の緑樹の美しい森一体を泉が森と称している。
四季それぞれに風情豊であり、参拝に訪れる皆さんの憩いの場所となっている。
さらに常陸国風土記に「密筑の大井」として記録されており、茨城県指定文化財史跡(第二三号 昭和四四年十二月 一日付)に定められた歴史的にも価値の高い森である。
常陸国風土記に記されている「密筑の大井」の箇所を口語訳すると次のようになる。
「高市(日立市の南部)と言うところがあります。ここから北東半里もないところに密筑の里があります。
この村の中には清らかな泉があって、土地の人々は大井と呼んでいます。泉の水は夏は冷たく、冬は暖かで、湧き流れて川となっています。夏の暑いときには、あちこちの村里から男女が酒や肴を持ち寄ってこの泉に集い、くつろいで飲んだり食べたりして楽しんでいます。密筑の里の東と南は海辺に臨んでいて、あわび、うにをはじめ魚介の種類がたいへん多く見られます。西と北 は山や野原に接していて、椎、櫟、榧、栗などが生え、鹿や猪が住んでおります。このように山や海の珍味がた くさんあって、全部を書き記すことができないほどです。」
ここにある<高市>は、現在の南高野町あたりを指すもので、この付近には古墳、貝塚、居住跡の集落が多く 発見されている。
<密筑の里>が現在の水木町であり、<大井>とあるのが、神社の脇に清水がこんこんと湧き出る泉のことである。
歌碑
- 藤田東湖詩碑
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藤田東湖がこの泉に遊んだときの詩が、徳川頼倫の書で仙台石に刻まれている。
「冽冽寒泉深樹下 炎天六月颯如秋 豈徒駆逐一時熱 洗尽乾坤萬古愁」建立 大正4年(1915年)春
所在地 泉の脇
- 中納言兼輔歌碑
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「みかの原わきて流るる泉川いつみきとてか恋しかるらん」
建立 昭和38年(1963年)2月
所在地 泉神社参道入り口